Chinese painting Beijing Palace Museum “Profound Scholar” by Wei Xian ,The Five
Dynasty
1420mm x 520 mm
Beijing Palace Museum.
The volume of Gao Shi-tu is the work of wei Xian, a painter of the Five Dynasties. This painting was originally recorded in Xuan he Painting Album. It is called Liang Bailan Tu I and is one of wei xian's six Gao Shi-tu (the other five have been lost). Song Dynasty Huizong Zhao Ji had a book: "Wei Xian Gao Shi Tu Liang Boluan." This painting is recognized as the authentic painting of the Southern Tang Dynasty in the five Dynasties.
Song Mi's "Cloud Smoke Passing through the Eye record", Ming Zhang Chou's "Qinghe Painting fang", Qing Sun Chengze's "Gengzi Sales summer Record", Qing Anqi's "Ink edge view", Qing Ruan Yuan's "Shi Qu Essays" are all recorded.
故宮博物院(こきゅうはくぶついん) 蔵図 博識の学者図 中国五代 衛賢
1420mm x 520 mm
五代の山水画家として、江南では董源(とうげん)、巨然(きょねん)、華北・中原では荊浩(けいこう)、関同(かんどう)の名が伝わるが、現存する彼らの作品はほとんどが模本か伝承作品である。やや時代が下って北宋の初期から中期にかけての山水画家としては李成(りせい)、范寛(はんかん)、郭煕(かくき)らが著名である。北方と南方の風土の差は画家たちの画風にも影響を与えた。荊浩らが描く北方の山水は、切り立った稜線とごつごつした岩肌が目立ち、これに対して、董源らによる江南の山水は、湿潤な大気に霞む穏やかな風景を描き出している。この時代には文人士大夫、すなわち儒教的教養のある支配階級が、絵画の享受および制作の主たる担い手となった。北宋末には、書家としても知られる米芾(べいふつ)とその子の米友仁(べいゆうじん)の父子がある。米芾は書家としては宋の四大家に数えられ、画家としては米法山水の創始者として知られる。米法山水とは、堅い輪郭線を用いず、楕円形の墨点を重ねて形態や濃淡を表すものである。宋時代を代表する文学者・書家である蘇軾(そしょく)も文人の余技として古木竹石などを描いている。五代の後蜀と南唐には宮廷画院が設置されたが、宋朝も画院(翰林図画院)の制度を設け、画院の画家には待詔、祗候などの職位を与えて画業を奨励し、多くの宮廷画家が活躍した。北宋末の徽宗皇帝は、為政者としては無能であったが、文化の振興、画院の改革に尽し、自らも筆を執って書画をよくした。北宋時代の画家としては他に白描(墨の輪郭線のみによる描法)の人物を得意とした李公麟(りこうりん)が著名であ。
南宋時代は前後の時代と異なり、文人画家よりも宮廷画院の画家が活躍した時代で、彼らによる、装飾性の豊かな花鳥画や、余白の美を生かした山水画が盛行した。こうした画院特有の作風を院体という。山水では李成・郭煕らの主山を中心に据える構図に替わり、主たる景物を画面の片側に寄せて描く様式が盛行した。この様式は馬遠(ばえん)、夏珪(かけい)によって大成された。院体の花鳥画は北宋の黄筌らの黄氏体(諸説あるが、輪郭線と彩色主体の描法とされる)の影響を受け、李迪(りてき)らの名手を生んだ。南宋の画院系の著名画家としては、他に山水画の李唐(りとう)、減筆体の人物画で知られる梁楷(りょうかい)などがいる。